Web2.0の米国でもままならない教育のIT化

レポート:小池良次

 2009 年春に成立した米国景気対策法(ARRA:American Recovery and Reinvestment Act of 2009)では、398億ドル(約3兆6,000億円)の教育支援予算を計上した。ここからの助成金は州や地方自治体を通じて、教育機関に行きわたり始めている。

 米国ではこうした政府の計画とは無関係なところで、民間企業やNPO(非営利組織)による教育分野へのIT投資促進が活発化している。今回はその一つの事例として、モバイル・エデュケーション(携帯機器を使った教育)を取り上げてみよう。

 

■ 携帯電話大手がソーシャルネットで教師を支援

「携帯向けの教材作成に力を入れている」と語るベライゾン・ファウンデーションの

ディレクター、マイク・ページ氏

 主ユーザー主導のWeb革命だった「Web2.0」の成果を教育現場に導入しよう──そんな取り組みが米国の通信業界で始まっている。米国の大手通信事業者ベライゾン・コミュニケーションズが出資して00年に設立したベライゾン・ファウンデーションは、先ごろ「Thinkfinity.org」と呼ぶサイトをリニューアルし、デザインを変更してソーシャル・ネットワーク機能を追加した。


 これまでベライゾンはThinkfinity.orgを通じて、5万5,000本を超える教材を小学校から高校の教師に無料で提供してきた。リニューアルの狙いは、教師間のコミュニケーションや知識共有、教材の交換などをWeb2.0ベースのツールで促進することにある。

 同財団は、これまでも教育現場支援、識字率向上運動、ネットセーフティー活動、医療現場支援など多岐にわたる公益活動を手がけてきた。さらに教育関係者向けに無料で、「パソコンの使い方から教材の作成まで」具体的な指導・訓練を提供している。こうしたボランティア活動にはベライゾン・グループの現役社員や退職者が積極的に参加している。

 同財団ディレクターのマイク・ページ氏は、「最近はパソコン向けよりも携帯電話向けの教材作成に力を入れている」という。パソコンと違い、携帯教材は学生がいつでもどこでも使えるからだ。携帯電話に搭載されたカメラを「鳥の観察記録」などの野外活動に役立てるプロジェクトも計画している。

 このほか、AT&Tやスプリント・ネクステルなどの携帯電話事業者や、携帯端末向けの大手チップメーカーであるクアルコムも教育支援に積極的に取り組んでいる。

 

■ 生徒たちと教員に横たわるIT活用の大きな溝


「Project K-Nect」を実施した、

デジタル・ミレニアル・コンサルティング

ショーン・グロス氏

 携帯電話を教育に応用する活動では、ノースカロライナ州の高校1年生と2年生を対象にした「Project K-Nect」実験が有名だ。同プロジェクトは07年から08年にかけて、代数の学力強化にポイントを絞り、教師がパソコンで作成した教材を生徒の携帯電話に配信する方法で実施された。

 生徒が携帯電話を使って回答した結果はシステムにより集約されるため、教師は生徒個別の理解度を一目で把握できる。生徒は自宅からでも電話やテキスト・メッセージなどを使って、教師から個別指導を受けられる。同プロジェクトは、受講したクラスの平均点数を引き上げる成果を残したという。ただし、こうした試みは実験段階にとどまり、広く教育現場に導入することは難しい状況にある。

 例えば「K-12」といわれる小学校から高校までの生徒やその父母、教師、教育関係者37万人を対象にしたオンライン調査リポート「Speak Up 2009」(Speak Upとは「声高に話す」という意味)では、次のような状況が浮き彫りになった。

<教育現場のITへの対応状況>

 生徒は技術に関心が高く、柔軟に使いこなせる能力を持っている。一方で、次世代を担う人材育成には、早期のIT教育が欠かせないという認識が関係者の中で醸成されている。しかし実際の教育現場は生産性が低く、学校予算におけるIT投資は全体の2〜3%を占める程度。これは民間企業の3分の1程度にしか過ぎないレベルにとどまっている。

<生徒と父母の要望>

 いつでもどこからでも、宿題の内容や授業の進度情報、補助教材、学校行事情報といった教育情報にアクセスしたいという要望を持つ。さらに子供それぞれの進度に合わせた教育のパーソナライズと教師からの素早いフィードバックを欲している。先端技術を使って最適な教育環境を得たいと考えており、教育現場に先端IT機器を持ち込みたいという要望が強い。

<教育関係者の実情>

 生徒や父母への情報提供のためのポータルサイト構築の必要性を感じており、サーバーを使う学習管理システム「HLMS」(Hosted Learning Management System)への関心が高い。しかし端末機器やアクセス方法など環境面で、生徒間のデジタルデバイドの拡大が深刻化している。教師自身はITシステムを使いこなせておらず、その利用に恐怖感を持っている。

 

■ 米国でも携帯・パソコンの学内持ち込みは禁止

大規模調査「Speak Up 2009」の

成果を語るプロジェクト・トゥモロウの

ジュリー・エバンスCEO

 同調査を手がけたNPO団体「Project Tomorrow(プロジェクト・トゥモロー)」のジュリー・エバンス最高経営責任者(CEO)は、「生徒たちが学校で携帯電話などのモバイル機器を使いたいという意欲は高まっている。しかし、教育現場はそうした要望に十分に応えていない」と指摘する。

 米国で2人の子供を育てる筆者にしても、この指摘にうなずける部分は多い。IT導入が活発なシリコンバレーでは、学校や教師からの電子メールによる連絡やホームページを使った情報提供は当たり前のように定着している。しかし、宿題やクラスの様子をホームページで毎日更新するIT能力の高い教師もいれば、電子メールさえ見ようとしない教師に当たることもある。

 日本の小学6年〜中学2年に当たるミドルスクールでは、選択科目に本格的な「アニメーション制作」がある一方で、授業の邪魔になるといった理由により携帯電話やパソコンの学内への持ち込みを禁止している。

 

■ 教科書をパソコンで置き換えるだけではだめ

 教科書の代わりにネットブックやタブレットパソコンを取り入れ、教育の現場で活用しようという議論は、日本でもよく耳にする。こうしたIT機器を教育ツールとして導入すれば一見すると効果的だが、これらが教育現場の生産性向上を実現するまでには、根の深い問題があると筆者は考える。

 米国では電話料金の一部から基金を集める政府団体である「ユニバーサル・サービス基金」が、教育現場がインターネットやパソコンを導入する際に、資金の一部を援助する代わりに割引料金を事業者に求める「e-Rate」と呼ぶ支援活動を長年進めてきた。この活動の成果によって、学校のパソコン導入率やネット普及率は高まった。しかし学校はいまだ「紙と鉛筆」「画一的で押しつけの授業」から脱していない。

 これは教科書をパソコンに置き換える程度では、パソコンで仕事をするのが当たり前の民間企業に比べると、教育現場の生産性向上がなかなか進まないことを意味している。「いつでもどこでも教材や先生とのアクセスを確保したい」という生徒や父母の要望からもほど遠い。

 要望を実現するには学校内に効率的なITシステムを構築し、教師の生産性を格段に高める必要がある。総合的なビジョンを提示したうえで、「紙によるテスト作成や採点作業などを合理化」するといったシステムによる支援から、「教師自身がIT機器について専門訓練を受ける」といった地道な現場の改善活動まで幅広く取り組むべきだろう。

 

■ 日本の民間企業も市民も政府任せではいけない

 こうした総合的な視点に立った改善は、米国といえどもなかなか進まない。Project TomorrowのエバンスCEOが「まず、現状を広く把握し、それをみんなで議論すること」を願って、教育現場の大規模調査リポートをSpeak Upと名付けたのも、そうした背景からだ。

 米国のNPOの旺盛な活動をみると、日本の民間企業や市民は「教育は政府の仕事」として責任逃れをしているように見える。携帯電話王国を自認する日本だからこそ、ぜひモバイルを使った教育では世界をリードしてもらいたい。そのためには政府任せではなく「市民の広い参加」が必要になるだろう。

 

All copyright reserved by Ryoji Koike

日経ネット 2010年6月掲載 )