「沈黙期」に突入した米国のクラウドと日本の役割

レポート:小池良次

 ここ2年ほど、ネットワーク経由でソフトウエアや情報システムを提供する「クラウドコンピューティング」に沸き返っていた米国のコンピューター業界が、ここへきて落ち着きを取り戻し始めている。6月23〜24日に米サンフランシスコで開催されたクラウド関連の会議「Structure 2010」で、米アマゾン・ドット・コムのワーナー・ボーゲルス最高技術責任者(CTO)は「クラウドを語ることはやめよう。それは実行するときに来ている」と聴衆に訴えた。この言葉に象徴されるように、米国の情報通信業界は、じっくりと腰を据えてクラウドによる技術革新に取り組もうとしている。

 

■ 広がるクラウドによる技術革新

「Structure 2010」に登壇した米アマゾン・ドット・コムのワーナー・ボーゲルス

最高技術責任者(CTO)

 新技術は寿命を終えるまでに、「注目期」「沈黙期」「商業期」「衰退期」という4つの時期をたどると言われる。注目期とは、技術の可能性が世に認められ、研究機関や企業、メディアなどが大騒ぎをする時期。クラウドコンピューティングは過去2年ほど、この注目期の真っただ中にあった。ただし、どんな新技術もすぐに商業化にたどり着けるわけではなく、ある時期は地味な開発を重ねて様々な課題を克服しなければならない。このように静かでメディアが注意を払わなくなる時期は沈黙期と呼ばれる。

 冒頭のボーゲルス氏の言葉は、クラウドがこの沈黙期に突入したことを示している。これから数年、クラウドにかかわる企業は、本格的な商業利用に向けた関連技術を成熟させることに力を注ぐ。実際、最近の米国の業界内の動きをみると、クラウドを軸に広い範囲にわたって技術革新が進んでいる。

 広義のクラウドコンピューティングは、パッケージ型やサーバー・クライアント型ソフトウエアを使わず「ネットワークを介して様々な情報処理を提供するビジネスモデル」といえる。そのためクラウドは広い範囲で新技術の開発が必要となる。

 ソフトウエア業界は、クラウドに対応するためSaaSと呼ばれる新しい形式に移ろうとしている。これは端末サイドにソフトウエアをインストールする必要がなく、使うときだけ仮想データセンターにあるアプリケーションを呼び出して利用する方式。米国では、大手アプリケーション企業が次々と自社製品をSaaS形式に書き換えている。

 米国のソフトウエア業界を見渡すと、顧客管理ソフト(CRM)や会計給与管理、コールセンター、ビジネスインテリジェンスなど、あらゆるアプリケーションがSaaS化を目指しており、その動きは圧巻といえる。

 とはいえ、SaaSへの移行は大きな転換を意味する。代表的な製品が、米マイクロソフトが6月に発売した「Office 2010」だろう。ワープロや表計算、プレゼンテーションなどがまとまったOffice 2010は、世界で最も普及しているパッケージソフトである。その新バージョンはSaaS機能を多く取り入れている。

 その狙いは、SaaS形式だけでソフトを提供しOffice 2010と真正面から競争する米グーグルの「Google docs」に対抗することである。しかし広告という収入源を持つグーグルと異なり、ソフトウエアのライセンス販売で収入を上げる従来型のソフトウエア企業には、SaaSによる収益モデルが描けない。この壁を乗り越えるには、あと数年はかかることだろう。

 

■ クラウド技術に特化したベンチャーが出現

 クラウド時代を先取りしたソフトベンチャーも次々と現れている。クラウドスイッチ(CloudSwitch)はユーザー企業が社内で使っているアプリケーションを仮想データセンターに引っ越しさせて運用する製品を販売する。データセンター事業者の米ラックスペースやアマゾンなどのクラウド型データセンターを使いたいが十分な開発チームや予算がない企業でも、クラウドスイッチの製品を使えば簡単に「プライベートクラウド」を構築できる。

 アプリケーションの供給源となる仮想データセンターにもクラウドによる技術革新の波が押し寄せている。ソリッドファイヤー(SolidFire)は、従来のハードディスクドライブ(HDD)の代わりに、半導体メモリー(SSD)を使った仮想データセンター向け記憶装置の開発を進めている。急速に進む「パブリッククラウド」のデータ記憶装置の仮想化と大容量化に対応するためのものだ。ユーザー企業では、電子メールや文書など保管すべきデータが急増しており、肥大化するデータに柔軟に対応できるクラウド型データセンターへのニーズが高まっている。

 先ごろ日本に進出したシーマイクロ(SeaMicro)も仮想データセンターに最適化したサーバーの開発で注目を浴びている。同社は汎用設計を基本とする従来のサーバーとは違い、クラウド用のアプリケーションに最適化した高性能サーバーを開発している。

 

■ クラウド保護主義を懸念する米国務省

日米合意の翌日に当たる6月17日、慶應でのシンポジウムで基調講演に立った

フィリップ・バービーア米国国務省大使

 2010 年6月16日、原口一博総務相とフィリップ・バービーア米国務省大使(国際情報通信政策担当)は、「インターネットエコノミー」を議題に局長級対話を始めることで合意した。日本のメディアはほとんど注目しなかったが、この合意には実は重要な意味がある。

 米国にとってコンピューター産業は、国際競争力を持つ重要な戦略分野となっている。その分野でクラウドによる急速な技術革新が進んでいるため、米国は産業育成の戦略見直しを始めている。インターネットエコノミーに関する日米対話は、その1つに位置付けられる。

 クラウドコンピューティングが普及すると、ユーザーのデータやアプリケーションは国境を越えて自由に行き来する。しかし、データのセキュリティーやプライバシー保護は、国ごと規制されている。グローバルなクラウド市場、つまりインターネットエコノミーに対応していないのだ。

 一部の先進国は、ユーザーのデータを海外に置くことを禁止する「クラウド保護主義」的な措置を取っている。こうした動きは米国のクラウド産業に悪影響を与えかねない。このため米政府は、クラウド分野での保護主義を回避するフレームワークの整備を進めている。具体的には、国際間のプライバシーやセキュリティーにかかわる基本合意とそれに伴う法整備に向け準備している。

 クラウド保護主義では、中国が大きな存在感を示し始めている。巨大な人口を抱える中国は、ネットユーザー数からみてもインターネットで最大級のコミュニティーを形成する。その中国がインターネットで保護主義政策を進め、グーグルの中国での検索サービスからの撤退を招いた。米国はグローバルなクラウド市場を確保するために、中国をうまく取り込んだ国際協調体制を求められている。

 その観点からすると、日本はアジアにおける重要なパートナーとなる。上位ドメインネームサーバーの運営管理や「IPv6」の開発整備をはじめとして、日本はインターネットコミュニティーではアジアで中心的な役割を担ってきた。しかも、米国と日本はネット規制の環境も似ている。クラウドの国際協調体制の構築を目指す米国にとって、アジアでは最適なパートナといえるだろう。

 

■ 日本はアジアにおける「クラウド・ハブ」になれるか

 クラウドにかかわる日米協議は、日本にも重要な意味がある。将来のグローバルなクラウド環境を考えるとき、日本が目指すべきはアジアにおけるクラウド型データセンターのハブになることだ。

 この構図は航空産業と似ている。日本は航空産業のグローバル化に乗り遅れ、アジアの国際ハブ空港を他の国に奪われ、それが航空業界での国際競争力低下を招いてしまった。同様に、今後グーグルやセールスフォース・ドット・コムなどのクラウド型データセンターが上海やシンガポールなどアジアの他の地域に集中すると、日本はこの産業での国際競争力を失ってしまいかねない。

 日本は高い電気料金や厳しい建築基準、高い人件費、高い法人税などの事情があるため、データセンターを誘致する力が乏しい。このままでは、国際ハブ空港での失敗を繰り返すことになるだろう。この課題を解決するには「データセンター特区の設立」など官民一体の対応が必要となる。米国との対話でも日本へのデータセンター誘致を強く求めなくてはならない。

 次世代のコンピューター利用モデルの本命ともいえるクラウドでは、国際競争を視野に入れた総合的な政策と積極的な日本企業の取り組みが必要である。米国と同様、日本もクラウドの技術革新に腰を据えて取り組む時期に来ている。

 

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日経ネット 2010年6月掲載 )